困っても困らない

SONY α7RII + Hektor f=5cm 1:2.5

トップページだけリニューアルしました。https://shinobuosawa.com/

ここのところまったく出かけていないため、なんとかトップページのみ制作。
自分のサイトだからこそできる中途半端な公開(汗)

さて今年からツイていますよ。

元日 → 甘利山に日の出写真を撮りに行こうと朝3時に起きて韮崎まで行くも冬季閉鎖中。
3日 → 妻のリフレッシュさせるため、暴れん坊二人の子どもを一手に引き受け、一日イクメン奮闘。
4日、5日、6日、7日 → 妻が体調不良を訴える。のちにノロウィルスと判明。
リフレッシュのために訪れた某中華料理店で感染。(ニュースでも報道される)
8日 → 雪が降ったので撮影に行こうと朝4時に河口湖へ出発するも車が峠を登れず(もちろんスタッドレスタイヤ)、帰宅。
ついにNikon SB800を手放し、代わりにCactus RF60Xを購入 → 動作不良で返品交換。
ついでにNisshin i40を試すと故障してた → 修理発送。
一年以上風邪をひくことなく元気に過ごしていたのに、熱を出し体調不良←イマココ
(37度でも立派に(?)具合悪いのに、妻から「そんなの平熱だわ!」と鼻で笑われる。)

散々だぜ。
でもそれが楽しかったり。
心にゆとりが出てきた証拠ですね。

そんな中、ちょこちょことトップページのリニューアルを。
本当はもっとjsのライブラリなどを使って、写真に動きをもたせたりしたいのですけど。
まぁコツコツとリニューアルを進めていきたいと思います。

松下幸之助さんの「困っても困らない」
下に引用させていただいた内容のとおり、困っても困らない人でありたいですね。

《心配またよし》

何の心配もなく、何の憂(うれ)いもなく、何の恐れもないということになれば、この世の中はまことに安泰(あんたい)、きわめて結構なことであるが、実際はそうは問屋が卸さない。

人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。

しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じるということが大事なのである。

この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪(のろ)わしく、人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。

有事に直面しても、これを恐れてはならない。
しりごみしてはならない。

“心配またよし”である。

心配や憂いは新しくものを考えだす一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。

力をしぼる。
知恵をしぼる。

するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。
新しい道がひらけてくるのである。
まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。

松下幸之助氏はこう語る。
「人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。
そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。
困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となるのである。
要は考え方である。
決意である。
困っても困らないことである」

「心配またよし」とは、困っても困らないことだ。

これは困難に対してだけでなく、うまくいっているときや順境のときも同じ。
困難のとき、愚痴をいったり、自暴自棄(じぼうじき)になってしまうのか。
逆に順境のとき、調子にのって威張ったり、謙虚さを忘れ鼻持ちならなくなってしまうのか。
どちらになっても、淡々と素直に謙虚に処するだけ。
要はとらえ方しだい、見方しだい。
つまり、「順境よし、困難またよし」。

https://1kando.com/43585

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shinobuOsawa

写真、動画、空撮からウェブや紙のデザインまで幅広く手掛けるクリエイターっぽい人。
筋トレと子どもをこよなく愛する、クスッと笑えるプチ不幸体質の持ち主。
筋トレ好きの内蔵貧弱系。親しくなるとオネエ言葉になります。
写真を画像ではなく、用紙にこだわり、オリジナルプリントとして手元に残り続けることができる作品を生み出すことが目標です。

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